ブッダ物語●上達よりも大切なこと(2)

 ブッダからハンドクは、一本のほうきと、「ちりを払わん、あかを除かん」の聖語を授けられ、毎日、掃除をするよう勧められた。
“世尊の仰せられるとおりにしよう”。決意したハンドクは、
「ちりを払わん」。
 大きな声で唱えながらほうきを動かす。ところが、続く言葉が言えず、手がすぐに止まる。後ろでブッダが、「あかを除かん」と言われると、ようやく、
「あかを除かん」。
 だがすでに、「ちりを払わん」を忘れている。手がまた止まる。
 ブッダが再び、「ちりを払わん」をおっしゃる。こんな懇切な教導にも、わずか一言が身につかない。それでもハンドクは、やめようとだけは思わなかった。

 倦まず、たゆまず、二十年間、彼は同じ努力を続けた。
「おまえは、何年掃除しても上達しないが、上達しないことに腐らず、よく同じことを続ける。上達することも大切だが、根気よく同じことを続けることは、もっと大事だ。これは他の弟子に見られぬ殊勝なことだ」
 一度だけ、こうブッダに褒められたことがある。

 シュリハンドクはやがて、チリやほこりは、あると思っているところばかりにあるのではなく、こんなところにあるものかと思っているところに、意外にあるものだということを知った。そして、「オレは愚かだと思っていたが、オレの気づかないところに、どれだけオレの愚かなところがあるか分かったものではない」
と驚いた。ついに彼に、阿羅漢のさとりが開けたのである。
 よき師、よき法にあい、よく長期の努力精進に耐えた結実にほかならない。

ブッダ物語●上達よりも大切なこと(1)

「ごめんなさい。ごめんなさい」
 修羅のような兄の剣幕に、ひざがガクガクして頭の中が真っ白になる。シュリハンドクは目をつぶり、手を合わせて必死にわびた。
「おまえがヘマをするせいで、オレの修行は一向に進まない。もういい加減にしろ。どうしておまえはそんなにばかなんだ。修行を続けるのは自由だが、もう一緒はごめん被る。出ていってくれ」

 兄が言い終わると同時に、ピシャリと目の前で扉は閉じられた。ハンドクは、幼児のようにしゃくり上げている。頭がジンジンしびれてきて、しゃがんでなお泣き続けた。なぜ泣いているのかさえ、もう分からない。だが後から後から、目には涙があふれてきた。
 ようやく泣きやんだ彼は、ひざに頭を乗せ、足の間から道の小石をぼんやり見つめている。だらりと垂れた鼻水をすする気力もなかった。
“名前も覚えられないばかだからヘマをやらかすんだ。兄さんのように利口に生まれていたら、どんなによかったろう”。いつも思いはそこに行き着く。いけないと知りつつ、こんな身に生んだ親や優れた兄を恨む心が起きてきた。こんな自分に修行なんて無理じゃないか。そう思うのがつらかった。
 その時、
「なぜ、そんなに悲しむのか」
と背後で声がした。聞き覚えのある声に振り返ると、ブッダであった。
 驚いて立ち上がり、腕で顔をぬぐう。その手を法衣になすりつけ、あわてて合掌した。もつれる舌をどうにか動かし、訳を説明した。
「世尊、どうして私は、こんなばかに生まれたのでしょうか」
 最後にこう言うと、また悔しさが込み上げてきて、さめざめとハンドクは泣いた。ブッダの声が、優しく耳に届く。
「悲しむ必要はない。おまえは自分の愚かさを知っている。世の中には賢いと思っている愚か者が多い。愚かさを知ることは、最もさとりに近いのだ」
(つづく)

ブッダ物語 石は自らの重さで沈む

 あるとき、ブッダにお弟子が尋ねた。
「世尊よ、長い経文を読んでもらったら、地獄に堕ちている者でも極楽へ往けるという人がありますが、本当でしょうか?」
 聞き終わられるとブッダは、無言で立ち上がられた。お弟子たちは戸惑いながらも、あとに従った。
 庭には池がある。黙然とその淵に立たれると、ブッダは拳ほどの石を手に取られ、中へ投げ込まれた。小さく水しぶきを上げ、石はみるみる沈んでいく。波紋が小気味よく広がり、池全体を同心円が覆ったころ、ブッダは静かにおっしゃった。
「そなたたち、この池の周りを、石よ浮かび上がれ、石よ浮かび上がれと言いながら回ったら、あの石が浮かんでくると思うか」
“まさか”。
 お弟子は、法友たちと顔を見合わせ、申し上げた。
「世尊、そんなことで石が浮かぶはずがありません」
 池に目をやると、水面は徐々に静まり、石はすでに影も形も見えない。
「そうだろう。石は、石の重さで沈んでいったのだ。どんなに浮かび上がれと言ったところで、浮かぶものではない。人は、己の過去に造った悪業によって、悪因悪果、次の世界に沈むのだ」
“読経や儀式で死人の果報が変わるはずがない”
 弟子たちは皆、うなずいた。

 死後、浮かぶか沈むかは、本師本仏の本願に救われているかどうかで決まる。弥陀の本願に救い摂られ、往生一定と魂の解決ができたならば、読経や葬式などは問題にならなくなるのだ。
「生きている今、弥陀の本願に救い摂られるのが仏教の目的」
 ブッダはそう教えられたのである。

●ブッダ物語 まず毒矢を抜け

 かつてブッダが大樹の陰で瞑想なされていた時、近づいてきた男が、
「あなたは一切の智者だそうだが、後ろの木の、葉の数を知っておられるか」
と問うたことがある。静かにブッダは言い放たれた。
「知りたければ、そなた、数えてみよ」
 戯論に応ずることも、また戯論である。本質と無関係な議論に、ブッダは一刻たりとも使われない。生死の大問題に向かう仏法者に、無駄な時はないからだ。
 ブッダのもとに、一人の弟子がやって来て、語った。
「世尊は私の知りたいことを少しも教えてくださいませんね。満足のいくお答えが頂けないなら、私は出家をやめたいと思っています」
 知りたいこととは、「宇宙には果てがあるのか」「世界はいつまで続くのか」などの問いであった。”それを知るのがさとりへの第一歩だ”とばかりに、彼は胸を張る。
 ブッダは彼に問うた。
「そのようなことを教えるから、我が元で修行せよと、そなたに約束しただろうか?」
“いえ、そうでは……”。修行者は小声であわてて否定する。
「もし私がその問題について説かないうちに、そなたが命終えたらどうなる?」
 ブッダの問いに、弟子の勢いは次第に萎えていく。続けてブッダは、例えで修行者を諭された。
「遊歩中の男の足に毒矢が刺さった。一刻も早く抜かなければ命が危ない。友人たちは、『すぐに矢を抜き、治療しなければ』と勧めたが、男は、『いや待て。この矢はだれが射たのか。男か、女か。その者の名前は。何のために矢を射たのか。矢に塗られた毒はどんな毒か。それらが分かるまで、この矢を抜いてはならん』と言い張った。やがて全身に毒が回り、男は死んでしまったのだ」
 ブッダの言葉は続く。
「無常は迅速である。今、こうしている間にも、老いや病、そして死の苦しみが現実にあるではないか。われはこの苦悩の根本原因と、その解決の道を説いているのだ。人生の大事は何か。よくよく知らねばならない」
 己の過ちを知らされたその弟子は、深く反省したと伝えられている。

●ブッダ物語 命は足が速い

 ある時、ブッダがお弟子に仰った。
「そなたもこのごろは、命の短く脆いことがうなずけてきたらしい」
 合点して弟子は言う。
「本当にそうでございます。たちまち消え失せてしまいます」
「”たちまち”と言っても、感じようもいろいろだが……」
 ブッダの一言に、”仏さまの感じられる命の短さとは、どれほどのものなのだろう?”と、弟子は疑問を起こした。
「世尊がお感じになっているそれは、どれぐらいの速さでございましょうか」
「そなたにはとても納得できまい」
 そう聞いた弟子は聞きたい気持ちが抑えられなくなる。
 ブッダは続けられた。
「例えばここに、弓の名人が四人いるとする。そのうちの一人は東に、一人は南、一人は西へ、そしてもう一人は北を向き、それぞれの方向の彼方に的を定め、心を合わせて一度に矢を放つ。名人の放つ矢は目にも留まらぬ速さで飛ぶ。そこに足の速い男がいて、サッと走りだしたと見る間に、四人の弓師が放った矢を引っ捕らえてしまったとしよう。どうだ。この男の足は速いだろう?」
「それは速いです。とても速いです」
 興奮ぎみに弟子は言った。やや間を置いて、ブッダは仰せられた。
「それよりも、もっと速いのが人間の命なのだ。命は実に足が速い」

 命の終わる速さを自覚すればするほど、人は人生を真面目に考え、真に人間らしい生き方をすることができるのである。

ブッダ物語 あわれむ心のないものは恵まれない

 夕食の支度をしながら女は、朝の夫婦ゲンカが忘れられないでいた。
 夫は何かあると、すぐに彼女を罵倒する。今日も過って食器を壊したのを悪し様に言われたので、彼女はヤケを起こし、一日じゅう家事もせずに過ごした。
“このままだと、また主人にどなられる”。ようやく気づいて夕飯の準備にかかったのは、もう夕暮れ時。夫の帰りの遅かったのが、この日は幸いした。
 扉の外で力ない声が聞こえたのは、その時だった。怪訝に思って覗いてみると、老いた乞食が済まなそうに立ちすくんでいる。”どうか食べ物を”と請う老人を弱者と見て取ると、女は急に態度を変え、無慈悲に突き放した。
「私の家には、夫婦の食べるものしか炊いていない」
「それでは、お茶を一杯、恵んでくださいませんか」
「乞食が、お茶などもったいない。水で上等だ」
 端から何も与える気のない女は冷酷に言う。老人はなおも懇願する。
「それでは私は動けないので、水を一杯、くんでくださいませんか」
 女はますますいらだち、乱暴に言い捨てた。
「乞食の分際で、他人を使うとは何事だ。前の川に水はいくらでも流れているから自分で飲め」
 その時、目の前の老人が忽然と姿を変えた。
「何と無慈悲な人だろう。一飯を恵んでくれたら、この鉄鉢に金を一杯あげるはずだった。お茶を恵んでくれたら、銀を一杯あげるはずだった。水をくんでくれる親切があったら、錫を一杯あげるつもりであったが、何の親切心もない。それでは幸福は報うてはきませんよ」
 ブッダであった。
「ああ、あなたはお釈迦さまでしたか。差し上げます、差し上げます」
 女は言ったが、ブッダは、
「いやいや、利益を目当てにする施しには、毒がまじっているから頂かない」
とおっしゃって帰られた。

 妻が玄関先に立ち尽くしているのを見て、帰宅した夫は訳を尋ねた。一部始終を聞き終えると、男は強くののしった。

「おまえはバカなやつだ。なぜ一杯のご飯をやらなかったのだ。金が一杯もらえたのに」
「それが分かっていれば、十杯でもやりますよ」
「よし、それなら、オレが金と替えてもらおう」
 食事を盛った鉢を手に、男はブッダの後を追って走りだした。
 どれぐらい走っただろう。へとへとになったところで、道が左右に分かれている。ちょうど、道端にうずくまっている乞食を見つけて、尋ねた。
「乞食、ここをブッダが、お通りにならなかったか」
「ちっとも知りませんが……。ところで、私は空腹で動けません。何か食べ物を恵んでくださいませんか」
「オレは、おまえに恵みに来たのではない。金を得るために来たのだ」
 冷たく言い放った時、再びブッダが現れ、静かに仰せられた。
「妻も妻なら夫も夫、哀れむ心のない者は恵まれないのだ」
「あなたがお釈迦さまでしたか。あなたに差し上げるために来たのです」
 臆面もなく一飯を差し出した男に、
「いいえ、名誉や利益のための施しには、毒がまじっているから頂くまい」。
 厳然とおっしゃって、ブッダは立ち去られた。

●ブッダ物語 女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事か

 ブッダが、一樹の陰に休んでおられたとき、近くの林で三十人あまりの貴公子が、夫人同伴で酒宴を楽しんでいました。
 ところが、独身男が連れてきた娼婦のような女が、みんなが疲れて眠っている間に貴重品を盗んで逃げたのです。驚いた一行が懸命に探しまわっていると、ブッダの姿を見ました。あやしい女が通りかからなかったか尋ねると、こう反問されて、はっと我に返ったといいます。
「事情はよくわかったが、その女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事であろうか」
 一同、迷夢からさめた心地して、説法を聞き、弟子になった、と仏典に記されています。
「知るとのみ 思いながらに 何よりも 知られぬものは おのれなりけり」といわれます。
 皆、自分のことは、他人に聞かなくても、自分が一番よく分かっていると思っています。しかし、自分ほど分からないものはありません。
「自分」ほど大事なものはないのに、自分ほど分からないものはありません。宇宙のことが分かっても、何十兆という細胞のことや遺伝子のことが分かっても、自分がわかりません。ここに、全人類の深い、果てしない迷い苦しみの原因があるのではないでしょうか。

ブッダ物語 毒蛇に気をつけよ

 ブッダがお弟子をつれて歩いていたとき、
「そこに、毒蛇がいるぞ。かみつかれぬように」
といわれると、お弟子は「ハイ、心得ております」と答えた。
 側で聞いていた男が、”毒蛇”の所在を確かめようと、道路のほうへ回って、恐る恐るのぞいてみた。なんと、近くの大木の根元に、まばゆい金銀財宝が顔を出しているではないか。
「これが毒蛇……? 昔、だれかが埋め隠したのが、大雨で洗い出されたに違いない。こんな宝を毒蛇と間違うとは、釈迦も、まぬけやろうだ」

“一生働いても手にできないほどの財宝、逃す手はない”。目の前に横たわる宝物に心奪われた男は、早速、掘り返す。持ち帰ると妻子は狂喜乱舞した。
 男の生活は、たちまち華美になる。豪奢な家や家財、贅を尽くした食事、振る舞い。近隣から不審の立たぬはずはなく、うわさは大風にあおられた火事のように広がり、ついに王の耳にも入った。法廷に呼び出され、厳しい詮議に音を上げた彼は、すべてを白状した。

「かかる大枚の財宝を横領するとは、許せぬ大罪。死刑に処するが、三日間の猶予を与える」
 激怒した王から言い渡された罪状を、帰宅した男は家族に告げた。
「ああ、お釈迦さまは偉い。間違いなく毒蛇だった。オレがかみ殺されるだけでなく、妻子にまで毒がまわり、大変なことになった。家族そろって平和に暮らせるのが何よりだ。財宝が、かえって身を責める道具になった」

“毒蛇”の深意が身にしみた男は、心から懺悔した。豪邸も財物もごちそうも、一切が喜べなくなり、ただ、家族と嘆き悲しむのみだった。
 翌日、突如、王からの呼び出しがかかった。
“死刑が早まったのか”。青ざめて出廷すると、昨日とは打って変わって穏やかな表情の王は、一言、

「おまえの罪は許す」。

 大恩赦である。キツネにつままれたような心地で男は、王の話を聞いた。
「おまえが帰る前に家臣を床下に忍ばせ、すべてを聞いた。釈尊のお言葉から、おまえの懺悔。考えてみると、おまえばかりが毒蛇にかまれるのではなかった。取り上げるオレも、酒色におぼれ、国を破滅させるところだった。財宝はお釈迦さまに使っていただこう」
 王の使いによって一部始終を聞かれたブッダは、微笑されながら、
「この世の宝は身を苦しめる道具になることが多い。早速、みんなが絶対の幸福になる仏法を伝えるために使おう」
と、お預かりになったという。

 大臣や総理まで務めた者が獄舎につながれ、毒にあてられ、悩んではいないか。毒蛇の被害者は、周囲に満ちている。

ブッダ物語 後生の一大事

 ある時、ブッダが托鉢中、大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘が、しきりと袂へ石を入れているのを見つけられました。
 自殺の準備に違いない、と知られたブッダは、さっそく近寄り、優しくその事情を尋ねられました。
 相手がブッダと分かった娘は、心を開いてこう打ち明けたといます。
「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、今は捨てられてしまいました。世間の目は冷たく、お腹の子の将来などを考えますと、死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます。どうかこのまま死なせてくださいませ」
 娘は、よよと泣き崩れましたた。
 その時、ブッダは、哀れに思い、こう諭されています。
「愚かなそなたには、例えをもって教えよう。ある所に、毎日、重荷を積んだ車を朝から晩まで引かねばならぬ牛がいたのだ。
 つくづくその牛は思った。なぜオレは毎日、こんなに苦しまねばならぬのか、自分を苦しめているものはいったい何なのかと考えた。そうだ! この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだと、牛は車を壊すことを決意した。
 ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当てて、木っ端微塵に壊してしまったのだ。
 ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には、頑丈な車でなければまた壊されると、やがて鋼鉄製の車を造ってきた。それは壊した車の何十倍、何百倍の重さであった。
 その車で重荷を同じように毎日引かされ、以前の何百倍、何千倍苦しむようになった牛は、深く後悔したが後の祭りであった。
 牛が、ちょうど、この車さえ壊せば苦しまなくてもよいと思ったのと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろう。そなたには分からないだろうが、死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まなければならないのだ。その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも恐ろしい苦しみなんだよ」

 このように、ブッダは、すべての人に、死ねば取り返しのつかない一大事のあることを教えられています。これを後生の一大事といわれます。
 この後生の一大事の解決が、仏教を聞く目的なのです。

ブッダ物語 巨木も一粒のタネから②

 ブッダは、静かにおっしゃいます。
「そなたは世の中で、これは珍しいというものを見たことがあるか」
“いきなり何だ”。男は戸惑いつつも、「珍しいもの」と問われ、村の大樹を思い出しました。
「あの多根樹ほど不思議なものはない。一つの木陰に五百両の馬車をつないでも、まだ余裕があるからな」
 続けてブッダは問われます。
「そんな大きな木だから、タネはひきうすぐらいはあるだろう。それとも飼い葉桶ぐらいかな」
「とんでもない。そんな大きなものではない。ケシ粒のほんの四分の一ぐらいしかない」
「そんな小さなタネから、そんな大きな木になるなんて、だれ一人信じないね」
 ブッダの言葉に、男は大声で反論しました。
「だれ一人信じなくとも、オレは信じている」
「どんな麦こがしの小さな善根でも、やがて強縁に助けられ、ついにはさとりを開くこともできるのだ」

 夫は自身の誤りを知らされ、直ちに己の非をわび、夫婦そろって仏弟子となったと伝えられています。


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