ブッダが、親の大恩十種の最後に上げられているのは、「究竟憐愍の恩」です。
「究竟憐愍の恩」といわれるのは、子どもが何歳になろうとも、親は、いつまでも、子どものことを思い続けて下さる、というご恩です。
四十になっても五十になっても、親から見れば、子どもは子どもなのでしょう。
「お父さん、もう私も、いい年になったのだから、心配はしなくていいよ。親は親の心配をすればいいんだよ」と言っても、なおも心配して下されるご恩です。
ブッダは、『父母恩重経』に、こう説かれています。
「己生ある間は、子の身に代らんことを念い、己死に去りて後には、子の身を護らんことを願う」(父母恩重経)
親は、自分がどんなに年老いても、命のある限り、子供が苦しんでいるのは耐えられず、代われるものなら、代わってやりたいと思います。しかも、死んだ後までも守ってやりたいのです。親が子供を哀れみ、慈しむ情は、終生、絶える間がありません。あたかも影の形に従うように、親の心は子供から離れることがないのです。
『宮本武蔵』や『三国志』で有名な作家・吉川英治氏は、ある夏の、母との思い出を次のように書き残しています。
「終日の暑さに喘いでいる折から、沛然と篠つくような夕立が降ってきたので、わたしはいい年をして子供みたいに、真っ裸になって庭へとびだした。頭から豪雨を浴びて、
──行水だ、行水だ。
と、欣んでいた。
すると昼寝していた母が、ふと庭面へ顔を上げると、裸足のままその大雨の中へ馳け降りて来たのである。嬰児でも抱えるように、いきなり私の手をつかんで家の中へ引っぱり込み、
──馬鹿、馬鹿、馬鹿。
と、わたしのお尻を幾つも打った。雨にあたっては毒なことぐらい知らないのかと云って、もう三十ぢかくもなるわたしを折檻して熄まないのであった」
(吉川英治『われ以外みなわが師』より)
ブッダは、このように十種の大恩を教えてゆかれました。
Filed under: 未分類 on 8月 26th, 2010 | コメントは受け付けていません。
ブッダの説く、親の大恩十種の九番目は、「遠行憶念の恩」です。
「遠行憶念の恩」とは、子どもが遠くに行っていても、ずっと親は心配し続けてくださるという恩です。
お金はあるだろうか、元気でやっているだろうか、友達はできただろうか、悪い人にだまされていないだろうか……と、種々に心配して下さる恩です。
大学生になった子どもが、親元を離れて下宿している時など、どれだけ両親が心配して下さったか分かりません。この深いご恩を「遠行憶念の恩」と、ブッダは教えられ、経典には、こう説かれています。
「若し子遠く行けば、帰りてその面を見るま
で、出でても入りてもこれを憶い、寝ても
寤めてもこれを憂う」 (父母恩重経)
わが子が遠くへ出掛けると、親はその帰りを案じ、待ちわびます。子供が離れて暮らすようになれば、衣食住や人間関係、健康など身の回りのことすべてが気になるものです。
向田邦子さんの随筆には、女学校一年で初めて親元を離れた時の、お父さんからの手紙が書かれています。
一点一画もおろそかにしない大ぶりの筆で、
「向田邦子殿」
と書かれた表書を初めて見た時は、ひどくびっくりした。父が娘宛の手紙に「殿」を使うのは当然なのだが、つい四、五日前まで、
「おい邦子!」
と呼捨てにされ、「馬鹿野郎!」の罵声や拳骨は日常のことであったから、突然の変りように、こそばゆいような晴れがましいような気分になったのであろう。
文面も折り目正しい時候の挨拶に始まり、新しい東京の社宅の間取りから、庭の植木の種類まで書いてあった。文中、私を貴女と呼び、
「貴女の学力では難しい漢字もあるが、勉強になるからまめに字引きを引くように」
という訓戒も添えられていた。
褌ひとつで家中を歩き廻り、大酒を飲み、癇癪を起して母や子供達に手を上げる父の姿はどこにもなく、威厳と愛情に溢れた非の打ち所のない父親がそこにあった。
暴君ではあったが、反面テレ性でもあった父は、他人行儀という形でしか十三歳の娘に手紙が書けなかったのであろう。もしかしたら、日頃気恥しくて演じられない父親を、手紙の中でやってみたのかも知れない。
(向田邦子「字のない葉書」)
手紙に込められた父親の愛情が伝わってきます。
親の恩は、山よりも高く、海よりも深いことが、いよいよ知らされるではありませんか。
Filed under: 未分類 on 7月 9th, 2010 | コメントは受け付けていません。
ブッダの説く親の大恩十種の八番目は、「為造悪業の恩」です。
大人であれば、何がよいことで何が悪いことかは、よく知っているはずです。ところが、子どものためとなると、親は悪いことでもします。そういう恩を「為造悪業の恩」とブッダは教えられています。
「為」というのは「子どもの為」ということです。子どものためには、親は悪いことでもする。その報いは自分が受けなければなりませんが、子どものために、悪いことだと知りつつ、悪業を作ることをいいます。
かつて、子どもを有名な女子大に入れたいために、替え玉受験をした父親がいました。親が子を思う気持ちがいかに強いか、知らされるでしょう。
ブッダは『父母恩重経』に、次のように説かれています。
「若しそれ子のために止むを得ざる事あれば、自ら悪業を造りて悪趣に堕つることを甘んず」
子供を愛するあまり、闇に迷ってしまうこともあります。吉川英治の『宮本武蔵』には、そんな母・お杉の姿が描かれています。
お杉の息子・又八は、武蔵と一緒に戦に出ますが、所属する軍が敗れて逃げ落ち、やがて、女と金と酒におぼれて、姿をくらましてしまいます。
お杉婆さんは、息子を堕落させたのは武蔵だと思い込み、命を狙います。また、息子の婚約者であったお通が武蔵を慕って村を出ていくと、彼女の命をも奪おうとするのです。
そんなお杉が改心するのは、豪雨の中、お通を折檻した時でした。倒れたお通は血の気を失い、ピクリとも動かなくなります。
「お通っ……。わるかった。このばばが悪かったぞよ。ゆるしてたも。ゆ、ゆるして……たも」
──どう思ったのか。
ばばは、いきなりお通の体を抱きあげてさけんだ。悔悟のいろが、ばばの面には溢れていた。
「恐しや、恐しやの。子ゆえの闇とは、この事か。わが子可愛さにひとの子には、鬼となっていたか……」 (『宮本武蔵』円明の巻)
それからのお杉は、優しくお通を看病するようになりました。
お杉が人の命を狙う鬼となったのも、わが子かわいいの親心からなのです。ここでいわれる「子ゆえの闇」とは、平安時代の有名な歌の心を指しています。
「人の親の心はやみにあらねども
子を思う道にまどいぬるかな」(藤原兼輔)
“子をもつ親の心は、分別がないわけではないが、子供のことを思うと、闇夜の道に迷うように、思い迷ってしまう……”
校長がわが子を教員にするために賄賂を渡したり、母親が息子の借金返済のために職場の金を横領したりする事件がありました。決して許されないことですが、子供を案じるあまり正常な判断力を失ってしまうのが、古今変わらぬ親の姿なのかもしれません。
Filed under: 未分類 on 6月 12th, 2010 | コメントは受け付けていません。
ブッダが説く親の大恩十種の七番目は、「嚥苦吐甘」の恩です。
「嚥苦吐甘の恩」とは、まず「嚥苦」とは、文字の意味は「苦きを飲み込む」という意味です。親は苦いもの、まずい物を飲み込んで下さる、ということです。次の「吐甘」は「甘きを吐く」と書きますが、子どもには甘いもの、おいしいものを与えて下さる恩です。
焼き魚を食べるときも、身は子どもに食べさせて、自分はしっぽや頭の方を食べます。
子どもは、そういう親の気持ちの分かりませんから、よその家に行って、「うちのお母さんは、変わっているの。しっぽばっかり食べて、しっぽが好きなの。身の方がおいしいのに、知らないんだ」と言ったりします。しっぽが好きな親がいるはずがありませんが、子どもがおいしいところを食べれば、自分はしっぽでもいい、頭だけでもいい、目玉でもいい、という親の恩です。
鴨長明の『方丈記』には、大飢饉の惨状を記した一節に、
「親子で一緒にいる者は、決まって、親が先に飢え死にしていった」
と書かれています。自分が餓死しようとも、手に入れた食べ物を子供に与える、親の愛情の強さが伝わってきます。
また、親は、子供に食べさせるためなら、苦労をいとわないものです。
食べ物だけでなく、衣服やその他のものも、自分の分は買わなくても子供に与えようとするのが親心です。ブッダは『父母恩重経』には、
「己が好美の衣服は皆子に与えて着せしめ、
己はすなわち故き衣、弊れたる服を纏う」
と説かれています。子供には新しいきれいな服を買い与え、親は何度も洗って色あせたシャツやズボンを着て、新調を控える。
人から贈られたおしゃれな洋服も、
「母さんには赤いから」
と娘に譲り、母は古着で我慢する。子供が中高生のころに着ていた体操服を、卒業後は母親が着ているのを見かけることもあります。
「そういえば、自分の親も、そうしてくれていた……」と、「嚥苦吐甘の恩」思い出すことでしょう。
Filed under: 未分類 on 5月 8th, 2010 | コメントは受け付けていません。
ブッダが説かれる親の大恩十種の六番目は、「洗潅不浄の恩」です。
「洗」は洗う、「潅」はそそぐということで、綺麗にするということです。子どもの汚いものも、汚いと思わず洗ってくださるご恩です。一人の子を育てるために、親は四石半の糞を食らうという言葉もあります。
「不浄」というのは子どもの大便や小便のことで、これは主にオムツのことを言われたものです。今のような紙おむつで使い捨てのものがなかった時代のことですから、布製でした。オムツを洗って下さると、そこに付いていた汚れが爪に入って、それから食事の準備をすると知らず知らずのうちに、体に入ります。お母さんは忙しいから、爪を切る時間もありません。一人の子が成長するまでに相当、体に入るとお経に説かれています。これはお釈迦様が教えられたことです。川で洗うなら気持ちいいですが、お釈迦様の時代はタライで洗いました。日本も、敗戦までは同じだったそうです。
今の便利な時代には考えられないような苦労をしてくださる、親の深いご恩が教えられています。
ブッダはそれを、お経には、このように説かれました。
「水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁(あかつき)にも、乾ける処(ところ)に子を廻し、湿れる処に己(おのれ)臥(ふ)す」
水のように冷たい、霜の降りる夜にも、雪で凍り付く夜中も、子どもは乾いた暖かいところに寝かせて、自分は湿った冷たい所に休んで下さる。
この深いご恩あったなればこそ、無事に成長することができたのです。
Filed under: 未分類 on 4月 8th, 2010 | コメントは受け付けていません。
ブッダが説かれる親の大恩十種の五番目は、「廻乾就湿の恩」です。
これは、子どもがおねしょをした時に、親は自分は冷たい所に休み、子どもは暖かい乾いた所に寝かせて下さる恩です。
お経には、ブッダは次のように説かれています。
「水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁にも、乾ける処に子を廻し、湿りし処に己臥す」(父母恩重経)
子どもがおむつをしている時期だけでなく、成長して自分でトイレへ行けるようになり、オムツを外しても、夜中におねしょをしてしまうことがあります。
そんな時、添い寝をしていた母親は、今までいた乾いた温かい所へ子供を寝かせて下さいます。これが「廻乾」です。
そして自分は、子供の寝ていた湿った冷たい所に休んで下さいます。これを「就湿」と言われています。
霜が降りるような夜も、雪が降り凍りつく夜も、わが子かわいさから、自分が冷えることは我慢して、子どもは暖かい所に寝かせて下さるのです。
講演会では、こんな体験談を、聞きました。夢の中でトイレに行っている夢を見たときのことです。「ここはトイレだ、間違いない」とちゃんと確認するのですが、なんだか腰のあたりが暖かくなってきます。ありゃ夢だったかと思った時には、半分ほど出てしまっています。困ったなあ……と思うのですが、黙っていても、明日の朝になれば分かります。隣ですやすやと眠っている母親の胸を叩くと、「また、やったか!」と言われるので「うん、うん」と言うと、案外何も言わずに、自分が寝ていた暖かい所に寝かせて、自分は濡れた所におしめを敷いて、抱いて寝て下さったそうです。
誰もが、そんなことが何度もあったと覚えているのではないでしょうか。
Filed under: 未分類 on 3月 11th, 2010 | コメントは受け付けていません。
親鸞会で聞いた、親の大恩の話を続けたいと思います。
ブッダが説く親の大恩十種の四番目は「乳哺養育の恩」です。
「乳哺養育の恩」といわれるのは、栄養と愛情いっぱいの母乳を与えて、養い育んで下さるご恩のことです。
ブッダは、『父母恩重経』というお経の中で、次のように説かれています。
「爾来 母の懐を寝処となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情を生命となす」(父母恩重経)
赤ん坊は、母に抱かれて眠り、母のひざで遊びます。そして母乳を飲ませてもらい、母の愛情を受けて育つのです。
乳児は、消化機能が未発達で、普通の食事は取れませんから、母乳の栄養を得て成長します。生後三カ月で体重は倍になりますが、これもすべて、お母さんからもらった栄養で、すくすくと育つのです。
続けてブッダは、このように教えられます。
「寒きとき服を加うるに母にあらざれば着ず。暑きとき衣を撤るに母にあらざれば脱がず」(父母恩重経)
気温の変化に応じて、衣服を着せたり脱がせたりしてもらって、健康を保っています。
「その初めて生みし時には、母の顔、花の如くなりしに、子を養うこと数年なれば、容すなわち憔悴す」(父母恩重経)
数年の養育で、美しかった容貌も衰えてしまうといわれるほど、子供を育てるのは並大抵のことではありません。特に母乳が足りない時は大変です。人工ミルクは、濃度を成長に合わせて調節するのがなかなか難しいものですが、母乳は最初は薄く、子供が成長するにつれて次第に濃くなっていくそうです。自然の法則の妙でしょう。
こんなご恩のおかげで、私たちは成長できたのです。
Filed under: 未分類 on 2月 9th, 2010 | コメントは受け付けていません。
親の大恩十種の三番目は「生子忘憂の恩」です。これは、子どもが生まれると、今までの心配や苦しみを、すべて忘れて、自分が生まれたかのように喜んで下さる恩です。
『父母恩重経』でブッダは、「若し夫れ平安になれば、猶蘇生し来るが如く、子の声を発するを聞けば、己も生れ出でたるが如し」と説かれています。
子どもが五体満足に生まれてきたのを見て、自分が生まれたように喜ぶ、ということです。そんなことは、母親でなかったら、できないことでしょう。
また『父母恩重経』に、「父母の喜び限りなきこと猶貧女の如意珠を得たるがごとし。その子声を発すれば、母も初めてこの世に生れ出でたるが如し」と説かれているのも、同じことです。
現代語にすれば「子どもが無事に生まれれば、父母の喜びは限りなく、まるで貧しい女性が、如意宝珠を得たようである。子が声を発すると、母親も初めてこの世に生まれたような気持ちになる」ということです。
あるお母さんは、出産の喜びを、このように語っています。
「子供と対面した時は、ただ、かわいいばかり。つわりで麺類ばかり食べていた日々や、陣痛でうなり声を上げていたのが夢のようで、つらかったことが全く頭に浮かびませんでした。健康に生まれてよかった、という気持ちでいっぱいでした」
また、このように喜んでおられる方もあります。
「陣痛で二日間ほとんど眠れず、三日目、経験したことのない強烈な痛みで全身が砕けそうな中、夢中で出産。体はへとへとでしたが、わが子を抱いた時、大切な宝物を手にした気持ちでした。痛みも疲れも吹き飛び、喜びが込み上げてきました。陣痛の時は、”こんな苦しいことは、もう嫌だ”と思っていたのに、産んだあと、その痛みを忘れているのです」
まさに、ブッダが説かれる通り、大きな大きなご恩を両親から受けているのです。
こういう話を親鸞会の講演会で聞いて、仏教観が一変しましたので、これからも紹介させて頂きます。
Filed under: 未分類 on 1月 9th, 2010 | コメントは受け付けていません。
ブッダが説かれた「親の大恩十種」の二番目は、「懐胎守護の恩」です。
いよいよ陣痛が起こり、子供を産む時の苦しみは、青竹を握らせると二つに押し割るほど激しいといいます。ブッダは『父母恩重経』に、
「月満ち日足りて生産の時至れば業風吹きて之れを促し、骨節ことごとく痛み、汗膏ともに流れて其の苦しみ堪えがたし」
と説かれています。その痛みを、作家・有島武郎は妻の姿を通して生々しく描写しています。
ちょうど三時と思わしい時に──産気がついてから十二時間目に──夕を催す光の中で、最後と思わしい激しい陣痛が起こった。肉の眼で恐ろしい夢でも見るように、産婦はかっと瞼を開いて、あてどもなく一所をにらみながら、苦しげというより、恐ろしげに顔をゆがめた。そして私の上体を自分の胸の上にたくし込んで、背中を羽がいに抱きすくめた。もし私が産婦と同じ程度にいきんでいなかったら、産婦の腕は私の胸を押しつぶすだろうと思うほどだった。(中略)
大きな天と地との間に一人の母と一人の子とがその刹那に忽如として現われ出たのだ。
その時新たな母は私を見て弱々しくほほえんだ。私はそれを見るとなんという事なしに涙が目がしらににじみ出て来た。
(有島武郎「小さき者へ」)
俗に「主人がいるとお産が重い。主人が不在だと安産だ」といわれているのも、産婦の苦しみを主人として見るにしのびないことを示しているのでしょう。
ブッダの母マーヤー夫人は、出産後まもなく、亡くなっています。子供を産むことは、女性にとっては男の戦場にのぞむようなもので決死の覚悟が必要なのです。
Filed under: 未分類 on 12月 12th, 2009 | コメントは受け付けていません。
ブッダが説かれた「親の大恩十種」の一番目は、「懐胎守護の恩」です。 「懐胎守護の恩」とは、子どもを身ごもったお母さんが、胎児を守って下さる恩です。何を食べたらよいか、食べない方がよいか、いろいろ心配をして下さり、種々に守って下さる恩です。 母親が特に心配するのは、薬害ではないでしょうか。病気になると、たとえ自分の肉体はつらくても、「この薬を飲んだら子どもに悪い」と思えば、我慢して飲まないようにします。そのように心配して、おなかの子どもを守って下されたご恩を「懐胎守護の恩」と教えられています。 お経にブッダは、次のように説かれています。 「悲母、子を胎めば、十月の間に血を分け肉を頒ちて、身重病を感ず。子の身体これに由りて成就す」(『父母恩重経』) 子どもが宿ってから十ヶ月の間、母親は重病になったような苦しみを感じながらも、守ってくださり、そのおかげで子どもの身体が作られます。 ミニスカートにブーツ姿で街を闊歩していた女性も、子供を授かれば、格好は二の次。おなかを締めつけない服を着て、転ばないようにかかとの低い靴を履きます。好みの食べ物や衣服を手に入れて、食べたい、身を飾りたいという気持ちより、健康に生まれてほしいの思いが強くなるからでしょう。 ブッダは、次のようにおっしゃっています。 「苦悩休む時なきが故に、常に好める飲食・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず。唯一心に安く生産せんことを思う」 胎盤の完成していない妊娠初期は、流産のリスクがあるため、遠方への移動や運動も控えるように言われたり、重い荷物を持つことはもちろん、手を上に伸ばして荷物を上げ下げするのもよくないといわれます。 母親が種々に心配し、守って下されたなればこそ、胎児は成長できるのです。
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