ブッダ物語●三人の妻(1)

 二千六百年前、三十五歳で無上のさとりを開かれたブッダの例え話に、こんな話がある。

 昔、ある金持ちの男が三人の妻を持って楽しんでいた。
 金持ちは第一夫人を最もかわいがって、寒いと言ってはいたわり、暑いと言っては心配し、贅の限りを尽くさせ、一度も機嫌を損なうことはなかった。
 第二夫人は第一夫人ほどではないが、種々苦労し、他人と争ってまで手に入れたので、いつも自分のそばに置いて楽しんでいた。
 第三夫人は寂しい時、悲しい時、困った時だけに会って楽しむ程度であった。
 ところがやがて、その金持ちが重い病で床に伏すようになる。
 刻々と迫りくる死の影に恐れおののいた彼は、第一夫人を呼んで心中の寂しさを訴え、”ぜひ死出の旅路の同道を”と頼んだ。
“ほかのこととは違い、死の道連れだけは、お受けすることはできません”
 すげない第一夫人の返事に、男は絶望の淵に突き落とされた。寂しさに耐えられぬ男は、恥を忍んで第二夫人に頼んでみた。
“あなたが一番かわいがっていた彼女でさえ、イヤとおっしゃったじゃありませんか。私もまっぴらご免でございます。あなたが私を求められたのは、あなたの勝手。私から望んだのではありません”
 案の定、第二夫人の返事も冷たい。男は恐る恐る、第三夫人にすがった。
“日ごろのご恩は決して忘れてはいませんから、村外れまで同道させていただきましょう。しかし、その先はどうか堪忍してください”
 結局、三人ともに突き放されてしまったのだ。

 この例えは一体、何を教えられたものか、ブッダの教えを聞いてみよう(つづく)。

ブッダ物語●仏弟子アナリツの誓い(2)

 ブッダの弟子アナリツが、目の光を失ってからのこと。衣のほころびを繕うため針に糸を通そうとするが、見えないのでかなわない。そこで周囲に呼びかけた。
「だれか、善を求めようと思う人はありませんか。この針に糸を通していただきたいのです」
 しばし待つも、応じる人はない。あきらめかけた時、傍らに気配がした。
「ぜひ、私にさせてもらいたい」
 声の主は、ブッダその人だった。アナリツは驚いて、
「世尊は、すべての善と徳を成就なされた方ではありませんか」。
 畏れて言うと、ブッダは、
「仏の覚りを開けばとて、小善をおろそかにしてよい道理がない。世の中で、善を求めること私にすぐる者はない」。
 アナリツは、ありがたくブッダの親切を拝受した。

ブッダ物語●仏弟子アナリツの誓い(1)

 精舎では善男善女が肩を並べ、真剣にブッダの説法を聴聞していた。瞬きさえ惜しむような張り詰めた空気の中で、仏弟子アナリツは不意に襲った睡魔と闘っている。不摂生をした覚えはないが不覚にも、彼はつい居眠りをしたのだ。
 法話のあと、犯した過ちの大きさに震えながら、ブッダの御前にひざまずいて、うなだれた。
「何が目的で、仏道を求めているのか」
 ブッダの問いにアナリツは、
「はい。生死の一大事の解決のためでございます」。
「そなたは良家の出身ながら道心堅固、どうして、居眠りなどしたのか」
 慈言が胸に響き、身の置き場もないような気持ちになる。悔悟の念を絞り出すように、アナリツは誓った。
「今後、目がただれようとも眠りはいたしません。どうか、お許しください」
 その日から熱烈な修行を敢行した彼は、夜が更け、暁を見ても、決して眠ることはなかった。不眠は連日に及び、”あの誓いは聞法の場のみのこと”と思った周囲からは、驚きとともに忠言が多く寄せられた。夜も休まぬ決意とは、到底だれも思わなかったのだ。
 やがて、不休の修行で目を患った彼に、ブッダは諭された。
「琴の糸のように張るべき時は張り、緩むべき時は緩めねばならぬ。精進も度が過ぎると後悔する。怠けると煩悩が起きる。中道を選ぶがよい」
 侍医の、”もう少し、眠れば治る”の強い勧めにも、彼は釈尊との誓いを貫き徹し、ついに両眼を失明した。同時にしかし、深遠な心眼が開け、釈迦十大弟子の一人、アナリツ尊者となっている。

ブッダ物語●上達よりも大切なこと(2)

 ブッダからハンドクは、一本のほうきと、「ちりを払わん、あかを除かん」の聖語を授けられ、毎日、掃除をするよう勧められた。
“世尊の仰せられるとおりにしよう”。決意したハンドクは、
「ちりを払わん」。
 大きな声で唱えながらほうきを動かす。ところが、続く言葉が言えず、手がすぐに止まる。後ろでブッダが、「あかを除かん」と言われると、ようやく、
「あかを除かん」。
 だがすでに、「ちりを払わん」を忘れている。手がまた止まる。
 ブッダが再び、「ちりを払わん」をおっしゃる。こんな懇切な教導にも、わずか一言が身につかない。それでもハンドクは、やめようとだけは思わなかった。

 倦まず、たゆまず、二十年間、彼は同じ努力を続けた。
「おまえは、何年掃除しても上達しないが、上達しないことに腐らず、よく同じことを続ける。上達することも大切だが、根気よく同じことを続けることは、もっと大事だ。これは他の弟子に見られぬ殊勝なことだ」
 一度だけ、こうブッダに褒められたことがある。

 シュリハンドクはやがて、チリやほこりは、あると思っているところばかりにあるのではなく、こんなところにあるものかと思っているところに、意外にあるものだということを知った。そして、「オレは愚かだと思っていたが、オレの気づかないところに、どれだけオレの愚かなところがあるか分かったものではない」
と驚いた。ついに彼に、阿羅漢のさとりが開けたのである。
 よき師、よき法にあい、よく長期の努力精進に耐えた結実にほかならない。

ブッダ物語●上達よりも大切なこと(1)

「ごめんなさい。ごめんなさい」
 修羅のような兄の剣幕に、ひざがガクガクして頭の中が真っ白になる。シュリハンドクは目をつぶり、手を合わせて必死にわびた。
「おまえがヘマをするせいで、オレの修行は一向に進まない。もういい加減にしろ。どうしておまえはそんなにばかなんだ。修行を続けるのは自由だが、もう一緒はごめん被る。出ていってくれ」

 兄が言い終わると同時に、ピシャリと目の前で扉は閉じられた。ハンドクは、幼児のようにしゃくり上げている。頭がジンジンしびれてきて、しゃがんでなお泣き続けた。なぜ泣いているのかさえ、もう分からない。だが後から後から、目には涙があふれてきた。
 ようやく泣きやんだ彼は、ひざに頭を乗せ、足の間から道の小石をぼんやり見つめている。だらりと垂れた鼻水をすする気力もなかった。
“名前も覚えられないばかだからヘマをやらかすんだ。兄さんのように利口に生まれていたら、どんなによかったろう”。いつも思いはそこに行き着く。いけないと知りつつ、こんな身に生んだ親や優れた兄を恨む心が起きてきた。こんな自分に修行なんて無理じゃないか。そう思うのがつらかった。
 その時、
「なぜ、そんなに悲しむのか」
と背後で声がした。聞き覚えのある声に振り返ると、ブッダであった。
 驚いて立ち上がり、腕で顔をぬぐう。その手を法衣になすりつけ、あわてて合掌した。もつれる舌をどうにか動かし、訳を説明した。
「世尊、どうして私は、こんなばかに生まれたのでしょうか」
 最後にこう言うと、また悔しさが込み上げてきて、さめざめとハンドクは泣いた。ブッダの声が、優しく耳に届く。
「悲しむ必要はない。おまえは自分の愚かさを知っている。世の中には賢いと思っている愚か者が多い。愚かさを知ることは、最もさとりに近いのだ」
(つづく)

ブッダ物語 石は自らの重さで沈む

 あるとき、ブッダにお弟子が尋ねた。
「世尊よ、長い経文を読んでもらったら、地獄に堕ちている者でも極楽へ往けるという人がありますが、本当でしょうか?」
 聞き終わられるとブッダは、無言で立ち上がられた。お弟子たちは戸惑いながらも、あとに従った。
 庭には池がある。黙然とその淵に立たれると、ブッダは拳ほどの石を手に取られ、中へ投げ込まれた。小さく水しぶきを上げ、石はみるみる沈んでいく。波紋が小気味よく広がり、池全体を同心円が覆ったころ、ブッダは静かにおっしゃった。
「そなたたち、この池の周りを、石よ浮かび上がれ、石よ浮かび上がれと言いながら回ったら、あの石が浮かんでくると思うか」
“まさか”。
 お弟子は、法友たちと顔を見合わせ、申し上げた。
「世尊、そんなことで石が浮かぶはずがありません」
 池に目をやると、水面は徐々に静まり、石はすでに影も形も見えない。
「そうだろう。石は、石の重さで沈んでいったのだ。どんなに浮かび上がれと言ったところで、浮かぶものではない。人は、己の過去に造った悪業によって、悪因悪果、次の世界に沈むのだ」
“読経や儀式で死人の果報が変わるはずがない”
 弟子たちは皆、うなずいた。

 死後、浮かぶか沈むかは、本師本仏の本願に救われているかどうかで決まる。弥陀の本願に救い摂られ、往生一定と魂の解決ができたならば、読経や葬式などは問題にならなくなるのだ。
「生きている今、弥陀の本願に救い摂られるのが仏教の目的」
 ブッダはそう教えられたのである。

●ブッダ物語 まず毒矢を抜け

 かつてブッダが大樹の陰で瞑想なされていた時、近づいてきた男が、
「あなたは一切の智者だそうだが、後ろの木の、葉の数を知っておられるか」
と問うたことがある。静かにブッダは言い放たれた。
「知りたければ、そなた、数えてみよ」
 戯論に応ずることも、また戯論である。本質と無関係な議論に、ブッダは一刻たりとも使われない。生死の大問題に向かう仏法者に、無駄な時はないからだ。
 ブッダのもとに、一人の弟子がやって来て、語った。
「世尊は私の知りたいことを少しも教えてくださいませんね。満足のいくお答えが頂けないなら、私は出家をやめたいと思っています」
 知りたいこととは、「宇宙には果てがあるのか」「世界はいつまで続くのか」などの問いであった。”それを知るのがさとりへの第一歩だ”とばかりに、彼は胸を張る。
 ブッダは彼に問うた。
「そのようなことを教えるから、我が元で修行せよと、そなたに約束しただろうか?」
“いえ、そうでは……”。修行者は小声であわてて否定する。
「もし私がその問題について説かないうちに、そなたが命終えたらどうなる?」
 ブッダの問いに、弟子の勢いは次第に萎えていく。続けてブッダは、例えで修行者を諭された。
「遊歩中の男の足に毒矢が刺さった。一刻も早く抜かなければ命が危ない。友人たちは、『すぐに矢を抜き、治療しなければ』と勧めたが、男は、『いや待て。この矢はだれが射たのか。男か、女か。その者の名前は。何のために矢を射たのか。矢に塗られた毒はどんな毒か。それらが分かるまで、この矢を抜いてはならん』と言い張った。やがて全身に毒が回り、男は死んでしまったのだ」
 ブッダの言葉は続く。
「無常は迅速である。今、こうしている間にも、老いや病、そして死の苦しみが現実にあるではないか。われはこの苦悩の根本原因と、その解決の道を説いているのだ。人生の大事は何か。よくよく知らねばならない」
 己の過ちを知らされたその弟子は、深く反省したと伝えられている。

●ブッダ物語 命は足が速い

 ある時、ブッダがお弟子に仰った。
「そなたもこのごろは、命の短く脆いことがうなずけてきたらしい」
 合点して弟子は言う。
「本当にそうでございます。たちまち消え失せてしまいます」
「”たちまち”と言っても、感じようもいろいろだが……」
 ブッダの一言に、”仏さまの感じられる命の短さとは、どれほどのものなのだろう?”と、弟子は疑問を起こした。
「世尊がお感じになっているそれは、どれぐらいの速さでございましょうか」
「そなたにはとても納得できまい」
 そう聞いた弟子は聞きたい気持ちが抑えられなくなる。
 ブッダは続けられた。
「例えばここに、弓の名人が四人いるとする。そのうちの一人は東に、一人は南、一人は西へ、そしてもう一人は北を向き、それぞれの方向の彼方に的を定め、心を合わせて一度に矢を放つ。名人の放つ矢は目にも留まらぬ速さで飛ぶ。そこに足の速い男がいて、サッと走りだしたと見る間に、四人の弓師が放った矢を引っ捕らえてしまったとしよう。どうだ。この男の足は速いだろう?」
「それは速いです。とても速いです」
 興奮ぎみに弟子は言った。やや間を置いて、ブッダは仰せられた。
「それよりも、もっと速いのが人間の命なのだ。命は実に足が速い」

 命の終わる速さを自覚すればするほど、人は人生を真面目に考え、真に人間らしい生き方をすることができるのである。

ブッダ物語 あわれむ心のないものは恵まれない

 夕食の支度をしながら女は、朝の夫婦ゲンカが忘れられないでいた。
 夫は何かあると、すぐに彼女を罵倒する。今日も過って食器を壊したのを悪し様に言われたので、彼女はヤケを起こし、一日じゅう家事もせずに過ごした。
“このままだと、また主人にどなられる”。ようやく気づいて夕飯の準備にかかったのは、もう夕暮れ時。夫の帰りの遅かったのが、この日は幸いした。
 扉の外で力ない声が聞こえたのは、その時だった。怪訝に思って覗いてみると、老いた乞食が済まなそうに立ちすくんでいる。”どうか食べ物を”と請う老人を弱者と見て取ると、女は急に態度を変え、無慈悲に突き放した。
「私の家には、夫婦の食べるものしか炊いていない」
「それでは、お茶を一杯、恵んでくださいませんか」
「乞食が、お茶などもったいない。水で上等だ」
 端から何も与える気のない女は冷酷に言う。老人はなおも懇願する。
「それでは私は動けないので、水を一杯、くんでくださいませんか」
 女はますますいらだち、乱暴に言い捨てた。
「乞食の分際で、他人を使うとは何事だ。前の川に水はいくらでも流れているから自分で飲め」
 その時、目の前の老人が忽然と姿を変えた。
「何と無慈悲な人だろう。一飯を恵んでくれたら、この鉄鉢に金を一杯あげるはずだった。お茶を恵んでくれたら、銀を一杯あげるはずだった。水をくんでくれる親切があったら、錫を一杯あげるつもりであったが、何の親切心もない。それでは幸福は報うてはきませんよ」
 ブッダであった。
「ああ、あなたはお釈迦さまでしたか。差し上げます、差し上げます」
 女は言ったが、ブッダは、
「いやいや、利益を目当てにする施しには、毒がまじっているから頂かない」
とおっしゃって帰られた。

 妻が玄関先に立ち尽くしているのを見て、帰宅した夫は訳を尋ねた。一部始終を聞き終えると、男は強くののしった。

「おまえはバカなやつだ。なぜ一杯のご飯をやらなかったのだ。金が一杯もらえたのに」
「それが分かっていれば、十杯でもやりますよ」
「よし、それなら、オレが金と替えてもらおう」
 食事を盛った鉢を手に、男はブッダの後を追って走りだした。
 どれぐらい走っただろう。へとへとになったところで、道が左右に分かれている。ちょうど、道端にうずくまっている乞食を見つけて、尋ねた。
「乞食、ここをブッダが、お通りにならなかったか」
「ちっとも知りませんが……。ところで、私は空腹で動けません。何か食べ物を恵んでくださいませんか」
「オレは、おまえに恵みに来たのではない。金を得るために来たのだ」
 冷たく言い放った時、再びブッダが現れ、静かに仰せられた。
「妻も妻なら夫も夫、哀れむ心のない者は恵まれないのだ」
「あなたがお釈迦さまでしたか。あなたに差し上げるために来たのです」
 臆面もなく一飯を差し出した男に、
「いいえ、名誉や利益のための施しには、毒がまじっているから頂くまい」。
 厳然とおっしゃって、ブッダは立ち去られた。

●ブッダ物語 女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事か

 ブッダが、一樹の陰に休んでおられたとき、近くの林で三十人あまりの貴公子が、夫人同伴で酒宴を楽しんでいました。
 ところが、独身男が連れてきた娼婦のような女が、みんなが疲れて眠っている間に貴重品を盗んで逃げたのです。驚いた一行が懸命に探しまわっていると、ブッダの姿を見ました。あやしい女が通りかからなかったか尋ねると、こう反問されて、はっと我に返ったといいます。
「事情はよくわかったが、その女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事であろうか」
 一同、迷夢からさめた心地して、説法を聞き、弟子になった、と仏典に記されています。
「知るとのみ 思いながらに 何よりも 知られぬものは おのれなりけり」といわれます。
 皆、自分のことは、他人に聞かなくても、自分が一番よく分かっていると思っています。しかし、自分ほど分からないものはありません。
「自分」ほど大事なものはないのに、自分ほど分からないものはありません。宇宙のことが分かっても、何十兆という細胞のことや遺伝子のことが分かっても、自分がわかりません。ここに、全人類の深い、果てしない迷い苦しみの原因があるのではないでしょうか。


Copyright © ブッダとは? All Rights Reserved.