少しずつブッダの物語について書いています。
『命は足が速い』
あるとき、ブッダは弟子にこう話しかけられました。
「そなたもこのごろは、命の短く脆いことがうなずけてきたらしい」
合点して弟子は言いました。
「本当にそうでございます。たちまち消え失せてしまいます」
「”たちまち”と言っても、感じようもいろいろだが……」
ブッダの一言に、”仏さまの感じられる命の短さとは、どれほどのものなのだろう?”と、弟子は疑問を起こしました。
「世尊がお感じになっているそれは、どれぐらいの速さでございましょうか」
「そなたにはとても納得できまい」
そう聞いた弟子は聞きたい気持ちが抑えられなくなり、なおも尋ねると、ブッダはこう言われました。
「例えばここに、弓の名人が四人いるとする。そのうちの一人は東に、一人は南、一人は西へ、そしてもう一人は北を向き、それぞれの方向の彼方に的を定め、心を合わせて一度に矢を放つ。名人の放つ矢は目にも留まらぬ速さで飛ぶ。そこに足の速い男がいて、サッと走りだしたと見る間に、四人の弓師が放った矢を引っ捕らえてしまったとしよう。どうだ。この男の足は速いだろう?」
「それは速いです。とても速いです」
興奮ぎみに弟子は言いました。やや間を置いて、ブッダは仰せられた。
「それよりも、もっと速いのが人間の命なのだ。命は実に足が速い」
たしかに振り返ってみれば、5年10年なんてあっという間ですね。
いえ、人生80年といっても瞬く間かもしれません。だからこそ一日一日を大切にしたいものです。
親鸞会の講演でも会長の高森顕徹先生が「一生過ぎやすし」という蓮如上人(れんにょしょうにん)の言葉を通して話されていたのを思い出しました。
親鸞聖人も、無常を観じて9歳で出家されたといいます。
日本に古来から伝わる無常観、とても大事だと思います。
Filed under: ブッダ on 4月 30th, 2009 | コメントは受け付けていません。
世界の偉人の代表といえるブッダについて書いています。
「毒蛇に気をつけよ
── 身を責める財宝」
久しぶりの晴れ間に誘われて、庭先で農具の手入れをしている男の耳にこんな会話が聞こえてきました。
「そこに、毒蛇がいるぞ。かみつかれぬように」
「ハイ、心得ております」
言葉遣いから、托鉢の修行者らしいと分かりました。
驚いた男は、”毒蛇”の所在を確かめようと、道路のほうへ回って、恐る恐るのぞいてみました。
“あれはブッダ・シャカムニとその弟子に違いない”。かつて一度だけ見たことがあった。
“はて、ところで毒蛇はどこだ?”。と探しに道へ出ると、近くの大木の根元に、まばゆい金銀財宝が顔を出しているではありませんか。
「これが毒蛇……?昔、だれかが埋め隠したのが、大雨で洗い出されたに違いない。こんな宝を毒蛇と間違うとは、釈迦も、まぬけやろうだ」
“一生働いても手にできないほどの財宝、逃す手はない”。目の前に横たわる宝物に心奪われた男は、早速、掘り返し、持ち帰ると妻子は狂喜乱舞しました。
男の生活は、たちまち華美になり、豪奢な家や家財、贅を尽くした食事、振る舞い。近隣から不審の立たぬはずはなく、うわさは大風にあおられた火事のように広がり、ついに王の耳にも入りました。
法廷に呼び出され、厳しい詮議に音を上げた彼は、すべてを白状しました。
「かかる大枚の財宝を横領するとは、許せぬ大罪。死刑に処するが、三日間の猶予を与える」
激怒した王から言い渡された罪状を、帰宅した男は家族に告げた。
「ああ、ブッダ・シャカムニはやはり偉かった。あれは間違いなく毒蛇だった。オレがかみ殺されるだけでなく、妻子にまで毒がまわり、大変なことになった。家族そろって平和に暮らせるのが何よりだ。財宝が、かえって身を責める道具になった」
“毒蛇”の深意が身にしみた男は、心から懺悔した。豪邸も財物もごちそうも、一切が喜べなくなり、ただ、家族と嘆き悲しむのみだった。
翌日、突如、王からの呼び出しがかかった。
“死刑が早まったのか”。青ざめて出廷すると、昨日とは打って変わって穏やかな表情の王は、一言、
「おまえの罪は許す」。
大恩赦である。キツネにつままれたような心地で男は、王の話を聞いきました。
「おまえが帰る前に家臣を床下に忍ばせ、すべてを聞いた。ブッダのお言葉から、おまえの懺悔。考えてみると、おまえばかりが毒蛇にかまれるのではなかった。取り上げるオレも、酒色におぼれ、国を破滅させるところだった。財宝はブッダに使っていただこう」
王の使いによって一部始終を聞かれたブッダは、微笑されながら、
「この世の宝は身を苦しめる道具になることが多い。早速、みんなが絶対の幸福になる仏法を伝えるために使おう」
と、お預かりになったといいます。
大臣や総理まで務めた者が獄舎につながれ、毒にあてられ、悩んではいないか。毒蛇の被害者は、周囲に満ちているのではないでしょうか。
浄土真宗の開祖親鸞は
「愛欲の広海に迷惑し、名利の大山に迷惑して」
と教行信証に書いていますが、その意味について、浄土真宗親鸞会で話を聞いてきました。
愛欲とは、男女の欲のこと
名利とは、名誉欲と利益欲のこと。
私たちはこの欲に振り回されているのだなと反省させられました。
親鸞会で話を聞くと、必ず何か気づかされることがあるので、また聴きに行こうと思います。
Filed under: エピソード on 4月 8th, 2009 | コメントは受け付けていません。