「目がただれようとも眠りはいたしません」

三十五歳で最高の仏のさとりを開かれたブッダ(仏陀)についてのお話です。

「目がただれようとも
眠りはいたしません」
―仏弟子アナリツの誓い

精舎では善男善女が肩を並べ、真剣にブッダの説法を聴聞していました。
瞬きさえ惜しむような張り詰めた空気の中で、仏弟子アナリツは不意に襲った睡魔と闘っていました。不摂生をした覚えはないが不覚にも、彼はつい居眠りをしてしまったのです。

法話のあと、犯した過ちの大きさに震えながら、ブッダの御前にひざまずいて、うなだれました。
「何が目的で、仏道を求めているのか」
ブッダの問いにアナリツは、
「はい。生死の一大事の解決のためでございます」

「そなたは良家の出身ながら道心堅固、どうして、居眠りなどしたのか」
慈言が胸に響き、身の置き場もないような気持ちになりました。悔悟の念を絞り出すように、アナリツはこう誓いました。
「今後、目がただれようとも眠りはいたしません。どうか、お許しください」

その日から熱烈な修行を敢行した彼は、夜が更け、暁を見ても、決して眠ることはなかったのです。
不眠は連日に及び、”あの誓いは聞法の場のみのこと”と思った周囲からは、驚きとともに忠言が多く寄せられました。夜も休まぬ決意とは、到底だれも思わなかったのです。

やがて、不休の修行で目を患った彼に、ブッダは諭されました。
「琴の糸のように張るべき時は張り、緩むべき時は緩めねばならぬ。精進も度が過ぎると後悔する。怠けると煩悩が起きる。中道を選ぶがよい」
侍医の、”もう少し、眠れば治る”の強い勧めにも、彼はブッダとの誓いを貫き徹し、ついに両眼を失明してしまいました。同時にしかし、深遠な心眼が開け、釈迦十大弟子の一人、アナリツ尊者となったのです。

*     *

彼が目の光を失ってからのこと。衣のほころびを繕うため針に糸を通そうとするが、見えないのでかなわない。そこで周囲に呼びかけました。
「だれか、善を求めようと思う人はありませんか。この針に糸を通していただきたいのです」
しばし待つも、応じる人はない。

あきらめかけた時、傍らに気配がしました。
「ぜひ、私にさせてもらいたい」
声の主はブッダでした。アナリツは驚いて、
「ブッダは、すべての善と徳を成就なされた方ではありませんか」
畏れて言うと、ブッダは、
「仏の覚りを開けばとて、小善をおろそかにしてよい道理がない。世の中で、善を求めること私にすぐる者はない」
アナリツは、ありがたくブッダの親切を拝受したのです。

ちょっとした善でもこころがけねばと思いました。
浄土真宗親鸞会の会長、高森顕徹先生も、浄土真宗では善のすすめはないという人があるけれども、とんでもない間違いだと話されていました。

当然ですよね、善のすすめがなければ仏教どころか、雑多な教えよりもお粗末になってしまいます。
親鸞会は善をすすめるから間違いだなんていう人があると知ってビックリです。

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